ロンリー

インスタグラムで世界中の写真を見ていると、時間を忘れる。
キッチン画像が多く収集出来るのが素晴らしい所なんだけど、他にも極彩色の悪魔的なケーキの作り方画像や、うさぎの写真や、どこかのスーパーマーケットでポーズをとる人や、ケイト・モスや、友達の子育てぶりや献立や仕事ぶりなんかをたまに拝見している。
わたしのフォロワーはごく身近な友人とどっかから来た謎外国人のみで、非常に少ない。大体知り合いにインスタグラムやってる人がそんなにいないし。
ま、わたしって全くもって注目すべき人でないし、投稿にやる気ないし、そんなものと思う。

たまにノートに絵を描くと投稿する。しない時もある。大抵少ない友人がいいねをしてくれる。内容による。謎外国人はあまりしてくれない。
ゴーストワールド』の映画ノートを投稿するときに、ハッシュタグというものの存在を思い出して#ghostworldとつけてみた。
それで暫くインスタグラムのこと忘れていたんだけど、ふと見ると縁もゆかりもない外国の人が数人いいねとしてくれている。嬉しくなってその人たちのアカウントを見ると、2人は本物(?)のゴーストハンターだった。アカウント名もプロフィールもゴーストハンターだし、投稿写真は森か教会かお墓が多い。英語でよくわかんないけどイギリスのオッサンみたい。ゴーストハンターがghostで検索したら、わたしの投稿が引っかかっちゃったんだろうけど、何故それをlikeと思ったのかかなり不思議です。よくわかんないけどどうもありがとう。
イケイケロンドンガールやアンニュイパリジェンヌにも、いつかいいねしてもらえるかしら。ハッシュタグとか何となく馬鹿にしてた気持ちがあったけど、英語でつけまくってたらいつかファッショニスタにも届くのかもしれない。知らんけど。

さて、わたしは他人の自撮り写真が好きだ。
わたし自身は、自撮りなんて親知らずが腫れまくって顔が変形した時しかしないけど、現在に女子高生だったらしてたのかもしれない。
インスタグラムはワールドワイドな自撮りが見られる。おそロシアな絨毯の前での自撮りや、韓流メイクのタイ人の女の子の上目遣いや、ロンドンの公衆トイレで洗面台に足をかけたポーズの自撮りなど、意味不明だけど面白い。もっとパーソナルな自室での自撮りは、充満する空気に苦しくなりそうなものがある。拒食症の人の鏡ごしの自撮り、アメリカの田舎のティーンエイジャーがいかにもアメリカの中流家庭って感じの子供部屋のベッドの上でウインクする写真、マドリードのモデル志望の女の子のバチバチに決めた服装でのお出かけ前の一枚(背景が生活感溢れている)、オーストラリアで雨の降る窓を背景にタトゥーだらけのヌードの自撮り、とか超面白いけど、いきなりプライベートに踏み込んでしまったような後ろめたさがある。
日本の女の子の盛り盛りな自撮りも、わたしは見慣れて何とも思えなくなったけど、外国の人なんかが見ると面白いかもしれない。
承認欲求とか難しい言葉があるけど、そんなのみんなあるし、いいんじゃないの。
他撮り世代のオバちゃんにはわかんない部分も多いけど、私を見てっていう気持ちにとりあえずの居場所があるなら、それも悪くはないと思う。わたしは見てますよ。
陽光の差し込む陰気な部屋で自撮りしてるガールズが、いつか誰かに満面の笑顔のポートレートを撮ってもらえるようになればいい、なんて思ってないです。孤独に戦え、自撮りガール!応援している。

フォトジェニックという単語は10年前は使っていたけど、もはや恥ずかしくて使えない。
フォトジェニックでインスタ映えを意識することは、丁寧な暮らしとかスローフードとか断捨離みたいな、いいことなんだけど流行りすぎて全然やりたくないリストに入ってしまった。
わたしはよく言えば古風な人間なんですが、普通に言えば時代遅れだ。
他撮りすら苦手だし、紙に手書きが一番楽だし、固定電話を契約してスマホを捨てるかいつも迷っているし、ノンカフェインもグルテンフリーも大嫌いだ。今だって半纏を着て小説を読みながら煙草を吸いまくり、コーヒーを飲んでますよ。

だけど、まだ若い女の子には関心がある。自分が若い時には、他の若い女の子はコンプレックスの要因にしかならなかったけど、今はうまくいってなさげな世界中のガールズが、娘のような同志のような気持ちがして、応援したくなる。これをフェミニストって言うかしら。言わないな。
人は死ぬまで生きる。それに意味もクソもないんだけど、やり場のない寄る辺なさを持っているように見える人たちには、共感するし同情する。その苦しみは無意味だし、そのことをみんなよくわかっているからさ。
みうらじゅんが、人は生まれた時から余生って言ってました。わたしは知らない誰かや知っている誰かの余生の片鱗を、アプリを開いて覗き見している。それでやれやれって思って見るのをやめて煙草を吸う。
わたしの余生は肺癌で終わるかもなぁ。生きづらいのはわたしなんだけど、まぁたまにノートを書いて誰かに見てもらうのは、余生の過ごし方の一環としては前向きだなと思う。
オバさんも孤独に戦うぜ。オバさんがガールズより少しだけ楽なのは、孤独の楽しさを知っていることだと思う。
見られることより、ウォッチャーでいる方が随分向いていると思うんだけど、それって単にお節介精神が身についただけかもしれない。