ピクチャー

当たり前のことを言っているのかもしれないのだけど、思考と視覚がセットになっていることに気がついた。

考え過ぎる時は、目を瞑ればいいんだ。

この素朴な気づきは結構個人的には発見で、わたしは本も画像みたいに読むタイプであまり聴覚が発達していないので(耳はいいし地獄耳なんだけど、あんまり意識は行ってない感じ。体得してない、うまく使えない苦手な感じ。だから音痴なのかな?)

眠れない時も目を瞑ればいいことは自明なんだけど、寝たくない気持ちがどこかにあるので、なかなかそこまでが難しい。薬は飲むし布団にも入るけど、暗がりに慣れた目で、カーテンの隙間とかそこからの薄い光で見える畳の網目とか、それでなんかマヤ・デレンの『午後の網目』の白黒加減を思い出したりとか、映像を追ってしまう。なんでって楽しいからで、考え事が好きなのは、それが即席の画像付きだからだと思う。映画と一緒。

本の装丁の黄色を見ながら、死後のこと、安楽死のこれからを考える。

わたしの世界のディレクターの仕事に、わたしは熱心過ぎるのかも。たまには他の人や身体自体からのディレクションを受け入れるべきだね。

こんなことを考えたのは、夫の家族にプロのボディケアを行う人がいて、お喋りしながらケアをしてもらったからだ。気持ちよすぎてオナラが出た。そして体が良くなると気持ちも少し整うし、身体性をないがしろにしてはいけないなと思った。

単にスマホ見過ぎなのかもしれないけど、目ばっかり使ってるみたい。ベートーベンは耳が聞こえなくなっても作曲したと言うけど、わたしは目が見えなくなった時、何を見るかしら。畑と冷蔵庫と数人の人間と、空を覚えていたい。いつまでも、色々なものが、見たい。