謝謝!
フィギュアスケートのグランプリシリーズのロステレコム杯をテレビで見た。
涙活というのがあるらしいけど、羽生君でも友野君でもなくザギトワさんでもなくて、グレイシー・ゴールドのスケートを見て、声を出して泣きました。オイオイ泣いた。
ぽっちゃりして、前のようなキレが全然なくて、だけど今年に彼女がグランプリシリーズで滑っている。そのことに嬉しくて嬉しくて、彼女の勇気と努力を思うと、オバちゃんはもうダメだ、涙腺が崩壊しました。
アメリカンな白人金髪美女って感じで、テイラー・スウィフトみたいなトランプ・ファミリーみたいな容姿の全米女王だったんですが、摂食障害で平昌オリンピックに出られず、休養して激太りなどと言われていました。それでも今年出てきて、ということはぽっちゃりのままスケートも練習していて、ロステレコムのショートプログラムで、黒のアミアミ衣装で、帰ってきた。太っても可愛いけど、ジャンプは飛べないみたいで、フリーは棄権していた。
それでも、前とは全然違う姿で、でも自信を見せて堂々と演技していて、グレイシー・ゴールドとかっていう派手でギラギラな名前に、負けてなかった。アメリカンプラウドって感じ。摂食障害から這い上がるのは大変だってことは、色々な人を見て知っている。
彼女が競技に戻ってきたことは、しかも太った状態でニコニコしながらリンクに上がってきたことは、わたしは本当に凄いと思う。
それで、彼女のコメントが、「これはプロセスです。プロセスを信じて前に進んで行きたい。」というもので、バカ泣きしました。
羽生君はロシアであのフリーをやることの意味をわかってたし、怪我をおして完遂したのは凄い根性で、圧倒的に綺麗だった。ニジンスキーは天才で、プルシェンコは伝説だけど、羽生君だってそうだし、未来には羽生君がやった伝説的プログラムをやりたいと、羽生君に許可を取りに来る子が現れるだろう。
友野君のキスアンドクライで、横にミーシャ・ジーが座っていたことも熱かったし、ザギトワの演技はこれ以上何も改善点が無さそうな完璧な強さだった。
町へ出よう
自殺のことは気になる。鉄道自殺が1番身近で、昨日か一昨日も、八王子でいじめで自殺した女の子は、電車に飛び込んで死んだ。
いじめで死ぬって1番無意味で一方的で、大体は殺人だ。だけど犯人の子供に責任能力は無いし、1人でもないだろうし、 とにかく被害者のみ死ぬのは割に合わなすぎるのだけど、この場合に、明日も生きるのはもっと割に合わないということは、私は知っている。 誰も自分を知らない場所に行こう。学校に行かずに制服のまま反対方向の電車に乗れば、そんな場所はすぐに見つかる。
死ぬくらいなら、危なかろうが知らないおじさんにメロンソーダ奢ってもらって、2000円貰って、映画の1本でも見た ほうが、殺されに学校に行くより、おすすめだけど。そのおっさんに殺されても、学校のやつに殺されるより、私はい いと思ったな。学校を捨てよ、町へ出よう。
俺が最近ムカついていることは、私が今幸せにしていること、クソ酷い目に遭ったことは無関係で、今幸せだからと言っ て、過去のムカつく仕打ちを許したり忘れたりする義務はないということを、意外とみんなわかっていないということ です。
今丸く収まっているからといって、私が止血しているとは限らない。ちゃんといつまでも、恨む。 そうやって私も恨まれていても、いい。
ばったり再会した際のために、いじめっ子をネットで氏名や学校名、進学先の名前や職業や住所で検索し、Facebookの プロフィール等探り当てている。宮古島でパイナップル食ってんじゃねーよブス。死ね。 と思いつつ、私はFacebookしてないし、別に思うだけで、それ以上は何も無い。ただ帰省した時にイオンでばったり会っ たら、指差して爆笑してやろうとは思っています。「宮古島行ってたよね、ウケる」つって。 大人しくて優しかったクラスメイトばかり、今は家庭内暴力の引きこもりとか、過食症の鬱病とからしくて、いじめっ 子は噂でもネットの検索結果でも概ねいい感じの職と家族と家にありついているので、こんな世の中じゃポイズンと思 う。
まあこのように人生は不条理なので、気にしてもしかたないし目の敵にしても何もないけど、許す必要は、やはり無い と思います。死ねと思う権利は、死のうか毎日毎日迷うくらい追い詰められた側には、あってもいいんじゃない。今で もあっても当然なんじゃない。奪うのおかしくない?
でも自分が死んだら、クズ女の成長しない服のセンスを笑ったり、性格分析して、何故にしていじめっ子に至ったか、 その後の人生がどうなり宮古島に至ったかをプロファイルして、そいつのコンプレックスを馬鹿にして遊んだり出来な い。今は1人での遊びかもしれないけど、大人になればハイボール飲みながら一緒に爆笑してくれるアングラな友達とか 出来るよ。田舎を捨てよ、街へ出よう。
私は中学生のころ、制服で大阪に行く電車の中でいつも、泣きそうになるのを堪えて、鞄から寺山修司を出して読んで いた。書を持って、町に出ればいいよ。
いじめで死ぬ子供を減らしたい。どうすればいいか、何が出来るか、少しだけど薄くだけど、ずっと考えている。あの 暗闇に、何なら届くだろう。 生き延びて、損なわれた人生に、希望の光があっても、みんな目玉を毟り取られていて、光が拾えないのだと思う。もしくは腕を切断されていて、光に手が届かない。脳的に。 それはその人のせいじゃないけど、その人が回復するしかなく、負担を少しでも軽く出来たら、まだいいなと思うんで す。負担を減らすだけじゃなくプラスにするみたいな思想もあるけど、そんな言い方は無責任だし、現実に沿わないと 思う。消耗させられた子供を、ミルククラウンをかぶせてふわふわのケープで包むみたいな、そんなケアが母親以外に 社会的に存在するといいんだけどな。
侵襲とアレルギー
極右政権が世界中で生まれてて、これからは多様性が排除されていくって本当ですか。
人々の状況は偶然であって、平等じゃない。ので自己責任じゃ解決できないけど、そもそも恵まれた人たちは貧乏人や運の悪い人や病人の困りごとなんて、解決したくないらしい。自力でやっていけないなら死になさいと言われている気がするし、わたしみたいのはすぐ、そうか、じゃあ死のうかなって思います。メッセージは受け取っている。
だけど無関心の人とヤバすぎてワクワクしちゃう人とがいるから、きっと全体的な自殺者数は今年は横ばいかなって思う。世紀中だけど、世紀末感ある。新興宗教も流行ってそう。
わたしは鉄道自殺した人に自己責任とか迷惑とか言えるサイコパスと、トランプを許容できる人と、シリアの情報が必要ないと思っている人が、クソが、と思います。
わたしは品がないんですけど、なんとかの品格とか言う新書一時期流行ってましたけど、今の世界中の自国尊重主義で差別主義の潮流は、マジで超下品で「クソが!」て思います。
品って教養と理性と配慮みたいなことかなと思うけど、粗野なのが流行なんすかね。嫌なら死ねみたいな?
それ、あまり乗りたくない場合、どうしたらいいかな。
発光
天気が良過ぎて、レースカーテンが光沢があると言うより、もう発光している。ずっと見ていたら、目が馬鹿になって、手元の文字が全然読めなかった。この喪失感を、自分は嫌がっているのか好んでいるのか、よくわからない。
白昼と嘔吐
わたしは週末とあと1度くらいしか洗濯をしないので、必然的に1回の洗濯物の量が多いのだけど、今日は特段多かった。夕方から雨だと言うけど、外に干さないとどうにもならない。2回目の洗濯機を回しながら、1回目の洗濯物を干した。ハンガーが足らない気がする。夕方までに乾くとも思えない曇天。
部屋に戻ってコーヒーを飲んだけど、びっくりするくらい不味かった。なんて日だ!(テレビのやつ)。テレビで、なんて日だの人とアンミカが横浜に行っている。興味が無いや。
腹8分目をモットーに、家でしっぽり家事なんてして過ごそうとしているわけなんだけど、ネットでうっかりエマ・ワトソンのスピーチを見てしまい、エマ・ワトソンのスピーチ自体はザ・正論で共感しかないし、美しい上に頭いい上に正義感あって最&高の女じゃんって思うけど、まあ顔はそこまで好みでもないんだけど。とにかく尊敬なんですが、それへのコメントの一部がカスで、コーヒーを吐いた。コーヒーの他にヨーグルトしか胃になかったので、特に何が出たというほどじゃないけど。
体調が悪いことは確かだと思った。吐くなんてあまりない。常にメシアであるところの夫は、健康診断に出かけている。チャンネルを相棒に変えてみたけど、途中からだとよくわからなかった。
自分が会社の報告で障害者雇用になってたことは、ショックだったけど、やっぱりが大部分だった。(一般枠です)話したら憤る人が半分、何が騒ぐポイントか判らない人が半分、わたしはもうどうでもよくなった。
そのほかの差別とかちょろまかしとかの社会のアホらしさについても、嘔吐はするけど、もうどうでもいいです。吐き続ける。それだけ。何故って体力がないからです。1人で正義のヒーローをやる必要はないらしいので。正義なんて、男にも女にも、若い子にも老人にもモテないんだよね。やってられない。
そんな対症療法の後出しじゃんけんで何になるのかわかんないけど、つまはじきにされた人には優しくしたいよ。
でっぷりとお金をもっていたら、身を削って正義のヒーローをやる場合の、削る身が沢山あっていいんだと思う。お金持ちになりたい。生まれて初めて、お金持ちになりたいとほんとに思った。
だけど正義だって、わたしの正義であって、他人の正義ではないことは知っている。大人だからさ。わかってるよ。正義正義って言っちゃいけないんでしょ、知ってるよ。
特命係はいいよな。右京さんは自分の正義を執行しまくっているし、そんでもって給料貰ってるし、相棒もいる。
部屋が寒い。吐いたっつうに、懲りずにポットのコーヒーの残りを注いで、チンして飲んだ。悲しみは地下鉄で見失いましたし、いつかは君に本当のことを言わなきゃなってそれだけさ。
わたしは、賢くて勝気で努力してバカを見下すタイプの女のことを、可愛げが無いとかいう人たちを、教養がないと思ってます。
わたしは努力して、勉強より勇気よりなにより、可愛げを身につけるように生きてしまった。そのことは確かにわたしをぐんと生き易くした。でもわたしはわたしのことを、信用できなくなったよ。今からでも強くなりたい。もっと自分次第で、自由に生きられる気がする。
あんまり腹が立ってばかりもいけないんだけど、腹も立てられないよりはマシかなと思う。だってわたし怒ってるし、ずっと前は怒ったりすらできなかったもの。
わたしは怒ってるんだということに、最初びっくりして、それは発見だった。そこから怒りがエスカレートしていくとこが、わたしのサガというか病いというかアレなんだけど、自分の許せないことに気づけたのは、わたしそんな風に感じてたんだと思って面白かった。わたしがハリウッドの民主党支持のセレブ女優で国連に呼ばれた場合、結構いいスピーチできると思うけどどうだろ。笑 情緒不安定だから泣いてしまうかな。
泣いたり吐いたり掃除したり洗濯したり鉢に水をやったり台所を片付けたりしている。今夜は鍋です。
掃除機をかけたら、少し寝ようと思った。メシアでブッダで鹿で豆でゴボウでいい人間でほんとは水星人の、精神科医曰く素晴らしい完璧夫は、帰ってきたら鍋は作ってくれるんだそうです。スーツのズボンを気軽に洗濯機に入れるところはどうかと思うけど、鍋作ってくれるところはいいね!を押したいです。
帰ってきたら葡萄を食べられるように、洗って器に盛ったから、そしたらまた果敢にもコーヒーを淹れようと思う。アイアムアヒーローですし、しかしそれ以前にアイアムア頑固&偏屈です。
夏日のピロシキ
最高気温31度、晴天。10月にしては上出来の日だ。
休日の午前中、夫が眠っており、リビングと寝室を隔てるドアの隙間から、その様子が見える。わたしは朝起きやすいように寝室のカーテンを半分開けておくので、その半分からレースカーテン越しに光が注いで、絵画か映画のようになる。白いシーツに眠る彼は、とても気持ちが良さそう。ずっと使っている無印のセミダブルのベッドに2人で寝ているので、狭めだとは思うのだけど、わたしが起きて居なくなっても、夫は大体自分の領分しか使わずに寝ている。日光はいいな。昔は雨も好きだったけど、やはり陽光が部屋に満ちるのは、安心がある。
最近、職場の激痩せガールが、ついに摂食障害だか鬱病だかに突入して、精神科に通い薬を服薬し始め、仕事中ものすごく大胆に寝ている。妹を見返すとか、婚活とかが絡んだダイエットだったみたいだけど、わたし達はお節介ババアなので、やり過ぎだとかメシ食えとか色々言ったけど、モテたい気持ちには勝てなかったし、実際有効なセリフは思いつかなかった。わたし達も、そんな風に痩せたい気持ちはわかるし。
しかしめっちゃ寝るので心配だ。もともと有能な人で仕事は完璧にするので、合間にうとうとしてても何も業務に影響はないけど、目立つからね。いきなり早退したりするし。昔のわたしのよう。何の薬飲んでんだろ、大丈夫か。聞けばなんでも話してくれる素直ないい子なんだけど、流石に何をどれだけ飲んでるの?とは聞けない。言ってくれれば大体わかりそうなもんだけど。笑
あの様子だとコントミンかレボトミンでも飲んでるのかなってぐらい、ぐらんぐらんになっているけど、薬に弱い人もいると思うので、リボトリールくらいなのかもしれない。ドグマチールかもな。
わたしも業務中よくウツラウツラしているので、全然人のこと言えないですけど。ただヤバくなっていく一部始終の期間を見ちゃってるので、放って置けないような気持ち。
若い頃摂食障害とは違うけど、厭世観極まりすぎて、36キロ位までは痩せたことがある。少し痩せてみると身軽で活動的になったし、楽観的だった。お腹は空くしお腹鳴ったりするんだけど、空腹の方が落ち着くような気がした。スナックパンっていう細長い甘いパンと、牛乳と酒だけで生きてて、中身は空洞だった。
後に東京で入院した時は、鎮静的ななにがしかを飲んで10キロ太って、退院後に着れる服が無くて泣けた。わたしは一応、体重で悩んだことはあるのです。薬太りはやるせないものがあって、なのでそういう感じの躁鬱とか鬱とか統合失調症人を見ると切ない。代替薬が全ての人にあるとは思わないし、死ぬより鬱よりデブのがマシとは思うけど。元気なスリムのが、ほんとはみんないいでしょ。これを言うとキリがないけど。
昨日テレビに戸田恵梨香が出ていて、めちゃくちゃ細かった。戸田恵梨香細すぎだな、と夫が言うので、摂食障害なんじゃないかとわたしは言った。
すぐ摂食障害って言うんだから、と言われるかと思ったけど、そうだねと夫は言った。そして摂食障害なんじゃないかと思う見かけの人は、多分ほとんどは本当に摂食障害だと思う、と言った。きっと世間にはめちゃくちゃ摂食障害の人が居るんだ、って。
わたしもそう思う。そりゃ体質とかホルモン異常とかはあると思うけど、カロリー盛り盛りのゼリー食べるべきガールズは、そこかしこにいると思う。
カロリー盛り盛りゼリーは、昏睡から目覚めた後にとにかくこれを食えと言われ、お陰でミイラみたいだったのが、ハニワくらいまで回復したよ。(担当の先生が監修している栄養ゼリーらしく、味が数種類あって、いちいち感想を聞かれる。わたしはカブトムシの気分で、味の違いなんてわからなかったけど、その女の先生は優しいと思った。)
過食症は愛が欲しい欲しいっていっぱい食べちゃう、まだ可愛気があるけど、拒食症は全部を拒絶しているから少し難しい的な話を聞いた。人間が生きていくって大変ね。
1980年代前半生まれが苦手だ、と若者の知り合いに言われた。それワシやがな。なんでと聞いたら、希望がないからだって。それワシやがな。ごめん。
絶望世代の中年は、最近もバリバリ悲観主義だけど、わたしの悲観なんて追いつかないスピードで、悲惨なことが起きている。1999年と単館系映画とニューヨークやロンドンと、デトロイトのガレージロック、そんなもので形成されたわたしの青春の価値観は、刹那的なことこそエモいみたいなもんで、トレインスポッティングだし、キッズだし、一瞬にこそ救いがある、ということです。一瞬に、一瞬だけ。でもX-girlのについてのクロエ・セヴィニーの最近のインタビューを読んで、「女の子の為のクールなブランドが現れたことに意味があった」「男の子より女の子のほうが好きなだけ」とか色々超共感出来ることを言っていて、クロエ・セヴィニーは1980年代生まれの映画好き女および一部ファッショニスタの必須アイドルで、刹那的を現実に写したようなビジュアルだったけど、それだけじゃなく今でも女の子達のクールな姉で、希望を作っているんだった。いつ何時も、かっこいいのね。
部屋の中が気持ちよくて、午後の約束のために新宿まで出られるか、自信がなくなってきた。ぐずぐずと化粧をする。買い物欲にやられて何故か購入したカラコンを入れてみる。目が人工的な緑色になって、ミュータントのように少し大きくなる。これが、盛るってやつか。薄い色の目になっても、髪の毛を巻いても、わたしは永遠にクロエ・セヴィニーにはなれない。そのことは、気に入っていることの1つで、わたしは今日はX-girl風じゃなく、ブリブリな感じで出かけます。ファッションは楽しい。そのことは2018年になっても、2038年になっても、思っていたい。ファッションは幻想だけど、生きる為の鎧であり、勇気だ。
わたしだってガリガリになりたい。薄っぺらな肩をして、か細い足にジーンズを履きたい。だけどやっぱり、その刹那的な満足に支払う代償は、不当なほど大きいように思う。まあ価値観はそれぞれですけど。2000年以降も世界があることに、我々はうっすらと絶望しているかもしれないし、わたしだけかもしれないけど、とにかく余生を和やかに省エネで暮らすために、適度な肉を纏って、美味いものが食べたい。
今日はピンクのワンピースを着て、元同僚達と数名で、ロシア料理を食べに行きます。オシャレして行きたいよね。
グミノート
イラストも日記にすることにしました。
GUMI note
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