call me call me

友達とスカイプで話した。なかなか直接会えない距離にいるその人と、初めて取ったこの交流の手段は、楽しかった。


わたしが大量服薬して死にかけICUで蘇生した時の話を、彼女はわたしより覚えている。大学の学食の二階で、わたしは「全身の皮が剥けて、脱皮したみたいだった」と語ったらしい。その感想は、彼女に鮮烈な印象を与え、しかしわたしの方はうろ覚えである。そんなことを言ったような記憶は一応ある。彼女は言う。「ウケるわ、そんなんなったこと無いもん。」

脱皮の話が、長年に渡り彼女にウケてるっぽいのは、ちょっとホッとする。あれがゼロ地点だとして、わたしはまだ5ミリくらいしか進めていない。みんなは三千里くらい向こうにいそうに見える。でも彼女のような人が三千里向こうから、ゼロの周りをぐるぐるしているわたしを、バカにしないで真面目に面白がってくれる。そうするとまた、わたしは1ミリ、その重力に引っ張られて進むことができる。受け入れられることは嬉しい。友達は嬉しい。はしゃいでしまうよ。

来年一緒に韓国に旅行に行こうという話になった。関空と羽田からそれぞれ行って、韓国の空港で待ち合わせようと言う。彼女は去年1人でスイスに行って、かなり自信がついて強気なのであった。「安い花柄のワンピースとか買いたくない?焼肉食べて。」と言う。「お揃いで買いたいかも。焼肉食べる。」そんな話をしていると、充電が切れた。わたしはビビリだから、たとえ隣国とはいえ1人で飛行機に乗るなんてドキドキするんだけど、なんとなく、行ける気がする。

 

死ぬまでに、彼女とニューヨークに行って、メトロポリタン美術館ミュージアムショップでグッズを爆買いしたい。

ベゲタミンも製造終了だそうだし(日中に落ち着けてニートには良い薬だったと思うけど)、当時も無理があったし錠数的にもアルコール度数的にも頑張った方だと思うけど、現在過量服薬によって死ぬのはより現実的ではないと思う。無理だ。嘔吐物が詰まって窒息とかリチウム中毒ならありえるかもしれない。しかし入院中にリチウム中毒のおばさんが居たけど、死んでないしおかしかったからリスキーである。その人は腎臓の病気で、少量のリーマスで中毒になったみたいだけど。薬剤師さんが薬の説明の時に、患者さんの名前を伏せて『うちにも少し前までリチウム中毒で入院してた人が居ました』と言ったけど、思わず「ああ、〇〇さんですよね。」と言ってしまった。病棟内ではプライバシーもデリカシーもないんです。というわけで、わたしには大体、鉄道自殺か首吊りくらいしか選択肢が無いけど、生き残った場合が怖すぎて、一旦自殺は保留にしている。メトロポリタン美術館行ってからでいいや。

そうやっているうちに、わたしも1人でスイスに行けるようになったら、安楽死させてほしいよ。ベゲタミンS(スーパー)とかあれば、飲んで2.3日こんこんと眠りたいです。

とにかく、わたしが死んでも生き残っても死ななくても生きても、友達にウケるといいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

I,ポエマー

もう長い文章が書けないし、特に書くこともないんです。でも手持ち無沙汰な感じもするので、短歌的なものをたまに作り出しました。ポエマーです。なんて恥ずかしい。載せます。

 

希釈して飲んでください 世界はカルピス 君には5倍濃縮

前髪の浮いた知らない子供 晴れてパールがキラキラ法要

頭がよく 品よくなりたい 君をコテンパンにする 傷つける為

ここは宇宙 原子とかだけ大切 君も原子で出来てるんでしょ

靴底を隔てて染みるコンクリート 自殺動画を思い出す朝

34歳の誕生日に、君は高速で口をゆすいで、笑った

 

call my name

沿線で今年6度目の人身事故があった。何度目かの自殺は確か最寄駅の構内で起きていたと思う。正直に、苦しい。


車内は殺伐としていた。振替輸送の電車に乗ったのは良いけれど、駅員さんに入口から押されて人間が粘土みたいにこねくり回されている状況で、わたしもその一員だった。帰宅ラッシュの時間帯だったので、疲労した人々はなされるがままという感じ。誰かの舌打ちが、力無い抗議が、無意味に響くだけ。

ちょっと年配目の1人のおばさんが一反木綿の様になってしまっていて、華奢だし骨折とかあり得る曲がり方だったので、思わず「大丈夫です?!」と声をかけると、ほうぼうから「だ、大丈夫です、、、」と返答があって、つまり誰も大丈夫じゃなかった。おばさんは顎でわたしにお辞儀してくれ、しかし次の駅でヨロヨロと降りていった。最寄駅で「すいません降ります~~」と言った瞬間に、豆のようにホームに弾き出されて、わたしは無事に粘土の中から生還して、酸素を吸い込むことが出来た。日本の誇るチームプレーとは多分これですかね。


職場では旧姓を使っている。名札を作り直すのとかが面倒なので放置しているだけなんだけど、そういう既婚者は他にも数人いて、何となく結婚しても仕事では名前を変えないのが職場ではスタンダードである。親しい人は愛称で呼ぶし、渾名は旧姓に基づいているし、結婚して5年くらい経つけれど、夫の姓で呼ばれる機会は普段では病院と郵便屋さんくらいなので、未だにあまり馴れない。

だいたい夫自体、夫のお母さんが離婚した時にお母さんだけ籍を抜いていて、夫が母方の姓になったのはだいぶ遅れて大学生になってからだそうで、今の名前より旧姓の方が歴が長いのだそうだ。なので、わたし達はあまり名前に拘りがない。苗字じゃない名前の方も、割と安直系の名付けで、命名のすんごい逸話とか理由とか無いので、別に思い入れもない。結果的に今の氏名はわたしも夫も気に入っているけれど。


各場面で呼ばれる名前が違うのは、すごく気に入っている。愛称もいろいろで、学生時代からの友達はあまり名前を短縮しないのに、東京の友達は短縮系でちゃん付けで呼ぶ人が多く、夫もわたしをちゃん付けで呼ぶ。わたしも夫はちゃん付けで呼ぶ。なんだか本当の名前が無いみたいで大変心地が良い。わたしは夫と居る時〇〇ちゃんだけど、病院に行くと△△さんで、仕事に行くと□□さんで、友達からは〇〇〇ちゃんだったり◎◎◎ちゃんだったり、呼び捨てだったりするのだ。みんなそんなものだろうし当たり前なのだけど、なんか自由じゃないかしら。なんならイングリッシュネームも欲しいくらいだ。エリザベスとか。


わたしはでも、名前があるということ自体に喜びを感じる。物にはそれを呼ぶための名前がある。人間には個別に名前がある。

電車に轢かれた人にも、その肉片を電車からこそぎ取った人にも、走り回っている駅員さんにも、舌打ちしたサラリーマンにも、一反木綿のおばさんにも、名前がある。呼ばれなくなった名前の持ち主のことは、わたしの世界の遠い(もしくは近い)喪失だし、届く時にその名前を呼ぶ声があればよかったと思ってしまうけれど、呼ばなかったのはわたしでもある。

今日は無性に、淋しくて、淋しいまま苺を食べた。

死ー、歯ー、her

歯の治療は憂鬱だけど、今回は定期検診なので平気だ。

わかってたんだけど、定期検診の結果は歯は良くて歯肉が良くなかった。煙草と食い縛りだと思うけど、まあとにかく歯垢の除去をやって(歯茎が悪いので痛い)、一個「丸」意外、全部「斜線」であることを褒められた。斜線の意味を知らないのでピンとこなかったけど、未治療の健全歯らしい。丸は治療済みだって。親不知が一本まだ生えている。

その歯のクリーニングなんだけど、保険の関係で2回に分けないといけないらしい。年末最後の診療日に行ったので、年明けからになって大分間が空く。果たしてわたしは、下の歯垢だけ除去されてピカピカになった。上の歯が否応なしに気になるけど仕方ない。なぜかこの間が空くことに関して受付の人が爆笑していて、この辺りは世の中いい感じに狂ってて、いい雰囲気と思いました。(ド近所の歯科医に行った。)

歯の治療費を下ろすために行ったセブンイレブンに、今度は歯が終わったので酒を買いに行った。途中で気が変わって飲むブルガリアの大きいやつにした。最近は飲むヨーグルトにハマっている。ストローで飲む。酒とか牛乳とか何でもかんでもストローで飲むのが流行っている。零さないから。

夕方には精神科に行かなければいけなかった。行くこと自体然程嫌じゃないのだけど、道程が寒すぎて泣ける。主に家から駅までの徒歩区間と、駅のホームの待ち時間。畑には霜が降りていて、風が強くて木が凪いていて、しかしそんな日でもラジオをかけながら農作業をしている人がいる。

遅い時間には空になってしまうことが多い無人販売所では、夏よりも沢山の種類の野菜や果物が置いてあって魅力的だった。でもゆずや小松菜を鞄に入れて都会に出るのは、なんかなぁ。重いし。新宿で鞄からネギ出てる人は見たことがない。諦めて、向かい風に耳を凍らせながら歩く。年末年始は苦手なんだ。

本当に、勝手に1年を区切らないでほしい。勝手に去年を過去にして、何もかも新しくしないで。というか、寒いのに大掃除だとか初詣だとか、理不尽だ。寒いことは本当に嫌いだし、夏以外大体寒いのに、年末年始は頭おかしくなりそうなほど寒いので、おかしい頭が余計におかしくなる。新年が怖いし、疲れる。

好きなことや人が沢山いるのに、この希望のなさは何なんだろうか、よくわからない。未来が全然欲しくない。

でも夫はお正月ラバーだから、テンションが上がっている。お雑煮を作ってくれると言う。わたしは小松菜を買わなければいけない。やっぱり、無人販売所で小松菜だけでも買っておけば良かったかしら。

毎年作っていた年賀状も、今年はやめます。イノシシなんて可愛くないし、好きな人に好きな葉書を、好きな時に出しますから、好きな人達はそれまで待っていて下さい。

てかそんな余力ないし、2019年もわたしには戦争です。暖かくして、手榴弾を胸に秘めつつ、牛乳とクリームソーダを飲み続ける。

ピクチャー

当たり前のことを言っているのかもしれないのだけど、思考と視覚がセットになっていることに気がついた。

考え過ぎる時は、目を瞑ればいいんだ。

この素朴な気づきは結構個人的には発見で、わたしは本も画像みたいに読むタイプであまり聴覚が発達していないので(耳はいいし地獄耳なんだけど、あんまり意識は行ってない感じ。体得してない、うまく使えない苦手な感じ。だから音痴なのかな?)

眠れない時も目を瞑ればいいことは自明なんだけど、寝たくない気持ちがどこかにあるので、なかなかそこまでが難しい。薬は飲むし布団にも入るけど、暗がりに慣れた目で、カーテンの隙間とかそこからの薄い光で見える畳の網目とか、それでなんかマヤ・デレンの『午後の網目』の白黒加減を思い出したりとか、映像を追ってしまう。なんでって楽しいからで、考え事が好きなのは、それが即席の画像付きだからだと思う。映画と一緒。

本の装丁の黄色を見ながら、死後のこと、安楽死のこれからを考える。

わたしの世界のディレクターの仕事に、わたしは熱心過ぎるのかも。たまには他の人や身体自体からのディレクションを受け入れるべきだね。

こんなことを考えたのは、夫の家族にプロのボディケアを行う人がいて、お喋りしながらケアをしてもらったからだ。気持ちよすぎてオナラが出た。そして体が良くなると気持ちも少し整うし、身体性をないがしろにしてはいけないなと思った。

単にスマホ見過ぎなのかもしれないけど、目ばっかり使ってるみたい。ベートーベンは耳が聞こえなくなっても作曲したと言うけど、わたしは目が見えなくなった時、何を見るかしら。畑と冷蔵庫と数人の人間と、空を覚えていたい。いつまでも、色々なものが、見たい。

君とうまく話せるかな

結局、石渡淳治草野正宗の歌詞が当時の女子(今は34くらいのオバ)には響く。YUKIじゃないしCharaじゃない。スーパーカースピッツに、我々は憂鬱になれるのである。くるりとかナンバーガールとかは男子のものでもあるから、憂鬱の種類が異なる。とかクソどうでもいいことを考えつつ、掃除とか洗濯とか炊事とか手際悪くしていたら、ピンポンが2回鳴った。

1回目は、郵便がポストに入らなかったという用件の郵便局の配達の人で、チャイルド・スポンサーシップという子供の為の事業への寄付を始めたので、そのガイドブックが届いていた。これは特定の子供のスポンサーとして手紙のやり取りが出来るのだけど、スワジランドという全く知らなかった国の10歳の女の子になったようで、その写真と名前と地域と、事業の内容の説明などが同封されていた。スワジランドエイズ罹患率が高くて、トイレの建設とか啓蒙とかが必要みたいだった。手紙にはこちらの写真やシールを同封すると喜ばれるとガイドブックにあったので、最近の写真とシールを少し入れて、初回の挨拶文を用意した。(フォーマットがある)基本的に半年スパンでのやり取りになるようなので、負担がなくてちょうどいいなと思う。禁煙したから、その分浮いたであろうお金で何かしたかったけど、すっごく難しい名前の女の子と英語で(!)文通してみようと思う。アフリカまでのエアメールが130円なのが安くて驚き。

2回目は、隣の部屋に引っ越してきた人で、洗剤とラップをいただいた。子供が2人いるからうるさいかもしれない、と言っていたけど、うちも大概ぎゃあぎゃあ騒いでいるので、全く構いません。こちらこそいつもガチャガチャしているので、うるさかったら言ってください!と心底本当のことをお伝えした。むしろ存分に騒いでほしい。その方がこちらも気が楽です。

わたしはここの土地が結構気に入っている。良さそうな家族が隣に来て、なんだか嬉しい気持ち。この人たちもここが気に入るといいなと思う。ちょうどラップが無くなりそうだったから、ほんと助かっちゃった。

 

大森靖子が好きで、デートはやめよう、という曲を30回くらい聴いて、hayatochiriを2回聴いて、魔法が使えないならを歌って、枕のカバーを替えたり、きのこを焼いたり、玄関を掃いたりしました。晴天で、途中で一回ストロングゼロを買ってきて、白昼の飲酒をし、「純粋な~感情は~今もずっと変わってないのに、肝心の~問題は~いつになってもわーからないよ~」とミキちゃん感醸したつもりで台所につったって歌って楽しかった。誰かナカコーやってよ。(夫はスーパーカーを知らない)

 

Vaseline

ワセリンが好きだ。半透明の乳白色なのもいいし、チープな外観も好き。

他にはオロナインも染みなくて好きだけど、ニベアは嫌い。中学生の頃にニベアの日焼け止めにかぶれて、皮膚取れるかという思いをしたからトラウマになっている。とにかく、ワセリンが1番いい。


ワセリンなんて洋物はずっと知らなかった。自殺未遂でICUで目が醒めると、親も含めて、まあまあテキパキと物事が進んでいて、わたしのことを何か哀れむ人なんて皆無だった。わたしも別にそんなことを望んでいなかった。けれど車椅子に移される前の担架みたいのに乗っている時に、看護師の人が「可哀想に、口から血が出てる」と言ってバリンバリンに破れた唇に、ワセリンを塗ってくれて、しかもそのワセリンをそのまま台に置いていってくれた。しかもちょっと泣いてた。わたしは感情が無かったからその時は何も思わなかったんだけど、ワセリンを塗ってもらって口らへんの痛みが和らぐのを感じて、自分は唇がかなり痛かったということに気がついた。

 

そのミニサイズのワセリンのケースが忘れられなくて、ずっとその200いくらの値段のサイズを買い続けて使い続けている。

多分なんだけど、目の周りに塗るとまつ毛伸びる気がします。