夏日のピロシキ

最高気温31度、晴天。10月にしては上出来の日だ。

休日の午前中、夫が眠っており、リビングと寝室を隔てるドアの隙間から、その様子が見える。わたしは朝起きやすいように寝室のカーテンを半分開けておくので、その半分からレースカーテン越しに光が注いで、絵画か映画のようになる。白いシーツに眠る彼は、とても気持ちが良さそう。ずっと使っている無印のセミダブルのベッドに2人で寝ているので、狭めだとは思うのだけど、わたしが起きて居なくなっても、夫は大体自分の領分しか使わずに寝ている。日光はいいな。昔は雨も好きだったけど、やはり陽光が部屋に満ちるのは、安心がある。

最近、職場の激痩せガールが、ついに摂食障害だか鬱病だかに突入して、精神科に通い薬を服薬し始め、仕事中ものすごく大胆に寝ている。妹を見返すとか、婚活とかが絡んだダイエットだったみたいだけど、わたし達はお節介ババアなので、やり過ぎだとかメシ食えとか色々言ったけど、モテたい気持ちには勝てなかったし、実際有効なセリフは思いつかなかった。わたし達も、そんな風に痩せたい気持ちはわかるし。

しかしめっちゃ寝るので心配だ。もともと有能な人で仕事は完璧にするので、合間にうとうとしてても何も業務に影響はないけど、目立つからね。いきなり早退したりするし。昔のわたしのよう。何の薬飲んでんだろ、大丈夫か。聞けばなんでも話してくれる素直ないい子なんだけど、流石に何をどれだけ飲んでるの?とは聞けない。言ってくれれば大体わかりそうなもんだけど。笑

あの様子だとコントミンレボトミンでも飲んでるのかなってぐらい、ぐらんぐらんになっているけど、薬に弱い人もいると思うので、リボトリールくらいなのかもしれない。ドグマチールかもな。

わたしも業務中よくウツラウツラしているので、全然人のこと言えないですけど。ただヤバくなっていく一部始終の期間を見ちゃってるので、放って置けないような気持ち。

若い頃摂食障害とは違うけど、厭世観極まりすぎて、36キロ位までは痩せたことがある。少し痩せてみると身軽で活動的になったし、楽観的だった。お腹は空くしお腹鳴ったりするんだけど、空腹の方が落ち着くような気がした。スナックパンっていう細長い甘いパンと、牛乳と酒だけで生きてて、中身は空洞だった。

後に東京で入院した時は、鎮静的ななにがしかを飲んで10キロ太って、退院後に着れる服が無くて泣けた。わたしは一応、体重で悩んだことはあるのです。薬太りはやるせないものがあって、なのでそういう感じの躁鬱とか鬱とか統合失調症人を見ると切ない。代替薬が全ての人にあるとは思わないし、死ぬより鬱よりデブのがマシとは思うけど。元気なスリムのが、ほんとはみんないいでしょ。これを言うとキリがないけど。

昨日テレビに戸田恵梨香が出ていて、めちゃくちゃ細かった。戸田恵梨香細すぎだな、と夫が言うので、摂食障害なんじゃないかとわたしは言った。

すぐ摂食障害って言うんだから、と言われるかと思ったけど、そうだねと夫は言った。そして摂食障害なんじゃないかと思う見かけの人は、多分ほとんどは本当に摂食障害だと思う、と言った。きっと世間にはめちゃくちゃ摂食障害の人が居るんだ、って。

わたしもそう思う。そりゃ体質とかホルモン異常とかはあると思うけど、カロリー盛り盛りのゼリー食べるべきガールズは、そこかしこにいると思う。

カロリー盛り盛りゼリーは、昏睡から目覚めた後にとにかくこれを食えと言われ、お陰でミイラみたいだったのが、ハニワくらいまで回復したよ。(担当の先生が監修している栄養ゼリーらしく、味が数種類あって、いちいち感想を聞かれる。わたしはカブトムシの気分で、味の違いなんてわからなかったけど、その女の先生は優しいと思った。)

過食症は愛が欲しい欲しいっていっぱい食べちゃう、まだ可愛気があるけど、拒食症は全部を拒絶しているから少し難しい的な話を聞いた。人間が生きていくって大変ね。

 

1980年代前半生まれが苦手だ、と若者の知り合いに言われた。それワシやがな。なんでと聞いたら、希望がないからだって。それワシやがな。ごめん。

絶望世代の中年は、最近もバリバリ悲観主義だけど、わたしの悲観なんて追いつかないスピードで、悲惨なことが起きている。1999年と単館系映画とニューヨークやロンドンと、デトロイトのガレージロック、そんなもので形成されたわたしの青春の価値観は、刹那的なことこそエモいみたいなもんで、トレインスポッティングだし、キッズだし、一瞬にこそ救いがある、ということです。一瞬に、一瞬だけ。でもX-girlのについてのクロエ・セヴィニーの最近のインタビューを読んで、「女の子の為のクールなブランドが現れたことに意味があった」「男の子より女の子のほうが好きなだけ」とか色々超共感出来ることを言っていて、クロエ・セヴィニーは1980年代生まれの映画好き女および一部ファッショニスタの必須アイドルで、刹那的を現実に写したようなビジュアルだったけど、それだけじゃなく今でも女の子達のクールな姉で、希望を作っているんだった。いつ何時も、かっこいいのね。

 

部屋の中が気持ちよくて、午後の約束のために新宿まで出られるか、自信がなくなってきた。ぐずぐずと化粧をする。買い物欲にやられて何故か購入したカラコンを入れてみる。目が人工的な緑色になって、ミュータントのように少し大きくなる。これが、盛るってやつか。薄い色の目になっても、髪の毛を巻いても、わたしは永遠にクロエ・セヴィニーにはなれない。そのことは、気に入っていることの1つで、わたしは今日はX-girl風じゃなく、ブリブリな感じで出かけます。ファッションは楽しい。そのことは2018年になっても、2038年になっても、思っていたい。ファッションは幻想だけど、生きる為の鎧であり、勇気だ。

わたしだってガリガリになりたい。薄っぺらな肩をして、か細い足にジーンズを履きたい。だけどやっぱり、その刹那的な満足に支払う代償は、不当なほど大きいように思う。まあ価値観はそれぞれですけど。2000年以降も世界があることに、我々はうっすらと絶望しているかもしれないし、わたしだけかもしれないけど、とにかく余生を和やかに省エネで暮らすために、適度な肉を纏って、美味いものが食べたい。

今日はピンクのワンピースを着て、元同僚達と数名で、ロシア料理を食べに行きます。オシャレして行きたいよね。