救う・掬う・巣食う

会社のフロアは6つ壁面があって、5面に大きな羽目殺しのガラス窓が付いている。それらにはブラインドが掛かっている。

ブラインドは閉じられっぱなしのことが多かったのだけど、ここ数年はたまに隙間が空いている。誰かが開けるのかもしれないし、ブラインド自体が劣化して、ピタッと閉じなくなったのかもしれない。

隙間からは、マジックミラーみたいに一面の窓に空が映る、駅の近くのビルが見える。晴れているととても綺麗でシャープな青、曇り空ではこれ以上ないニュートラルなグレーの世界を、人工的に演出していて好きだ。

その200メートル手前で、5階建の白いビルの脇にくっ付いた階段を、ジャージのおじさんが何人もゾロゾロと登っているのが、見える。階段には鉄格子のような柵が付いていて、たまに白衣姿のおじさんも階段を昇り降りしている。看板にクリニックと書かれていて、わたしはここは精神科だろうなと思ってはいた。

実際、どうにも耐え難い気持ちになって、仕事終わりに、なんか注射してくれないかと頼みに行ったことがある。5年以上前だと思うけど、その時は確か、他所に主治医がある患者は診ませんということで、緊急の受診先の相談窓口のコールセンターの番号を渡され、わたしは公園でウォッカを飲んで、泣きつつ変なゲップをしながら帰った。すみません。

そんなこともあったそのクリニックは、最近隣のビルも買ったみたいで、拡張して大きくなった。

ところで、統合失調症の人の感じ、摂食障害っぽさ、鬱の人の顔、とかの素人だから勿論当てずっぽうだけど、一般的な精神科なら共通に感じることが出来る、人々の何か精神病っぽさみたいなのが何パターンかある。白いビルの階段を行ったり来たりしているジャージおじさん達には、それが無かった。無いというよりか、種類が微妙に違うというか。

先日知ったんだけど、そのクリニックは依存症治療を専門に行っていて、メインはアルコール依存症なんだって。会社の人が教えてくれた。階段の昇り降りは、運動なのかもしれない。なにかの療法とか。きっと意味があるんだと思う。

 

すごく昔に、病院の喫煙所で知り合った、アルコール依存症の大学教授(という周囲の患者さん達の話)のおじさんが、忘れられない。

大学教授が本当かはわからないけど、大学教授がぴったりの雰囲気の、知的なメガネのおじさんだった。会うたびに、それは2週間おきだと思うけど、凄いスピードで老け込み、酒をやめないので足が順に壊死して、しまいに車椅子で息も細くて、足切断しなきゃ死ぬかもしれないし、切断しなくても死ぬかもしれないっていう、生きるパワーみたいなものが、全然残っていなかった。2ヶ月かそこらで髪が真っ白になって、痩せこけたお爺さんみたいだった。知的なことも、何も、言わなくなって。それから後のことはわからない。

大学教授も、あのクリニックに入れられていたら、強制的に酒をやめられただろうか。自分の足で歩けたかな。わからない。幸せが何かって難しいし。

わからないけど、わたしは天気を気にするフリをして、窓の外を眺めては、依存症治療に励む人々を、心の中で密かに応援している。

いつか別の場所から、大丈夫な自分から、白い建物の非常階段のことを思い出して、その時の自分を掬い取ってあげることが出来るようになればいいよなぁ。

人様の、それも歳上のおじさま方の身の上をどうこう言える立場じゃないのはわかってて、わたしこそ掬い上げられたいんだけど、わたしは掬い取って貰うために、今、自分が乗り込める大きさのスプーンを作ろうと、銀を集めている途中です。


今日は、ブラインドの間から見える空とビルは、真っ白だった。

いかにも気圧が低そうな白で、今から物凄い台風が来ると、帰宅後のニュースで大きく報道していた。わたしは実際、久々に注射でもしたい気分です。参ったな。