spring

 その人が亡くなったのは、桜の蕾がふくらみかけた3月のことだった。春の自殺はこの国では珍しくなかった。

 夫がゲームをしている。スマートフォンのゴルフのゲーム。外国のゲームのようだった。彼が座るソファのソファカバーの繊維の向きが歪んでいる。座面に対して斜めになっていた。きらきらと埃が舞うのが見える。部屋に充満する陽光は春の凶暴さを物語っていて、私はすっかり慄いていた。湯気のような光のなか、桜の花びらが舞う。

 桜の花びらは一枚を見ると白色にしか見えないのに、地面に積もっていくとそれは薄ピンク色になる。私は桜の何がありがたいのかさっぱりわからないと言う態度で生活してはいるが、それでも風に吹かれて花びらが舞う様子は可憐だと思った。

 とりあえず駅へ向かおうと思った。フードのついたスプリングコートを羽織る。コンバースを履いてスマートフォンだけ持った。定期はスマートフォンに入れている。歩道を歩くと、タイルの目地に桜の花びらが詰まっていた。溝にもたくさん張り付いている。これが赤色だったら、黒色だったら、ちょっとも可愛く無いなぁと思ったりした。
 改札を通って、上りのホームに降りる。休日の昼下がり、電車を待つ人は少ない。特急がやってくるタイミングで、ホームから飛び降りた。私が車体にぶつかる。轢かれてばらばらになる。肉片はホームに届くかも。
 ホームで缶コーヒーを飲んだ。自動販売機は暖かい飲み物が減ったように感じる。

 春の自殺はこの国では珍しくない。缶コーヒーの砂糖が口の中に残る。桜の花びらが髪につくのが嫌で、スプリングコートのフードを被った。