ソーハード・ソーダフロート

夏だけれど、向日葵も見ていないし、花火もオリンピックも見ていない。毎日の通勤で見るのはセミ爆弾だけで、これを見ると八月が死んでいる、夏が終わると思う。

終戦記念日関連のテレビを見ていると、セミ爆弾が人になって脳裏に浮かぶ。非常に恐ろしい。

 

友達の赤ちゃんを見に行った。

何年か会わないうちに、わたしも見たことのある彼氏とは別れて、結婚して出産して引っ越していた友達の、新しい住所と苗字を教えてもらって、出かけた。

わたしは赤ちゃんや小さい子供に、どうにも苦手意識があるんだけれど、張り切って絵本を買って、モロゾフのプリンを携えて行った。緊張した。

赤ちゃんは可愛かった。すごく。友達は素敵だった。とても。

羨望みたいな感情の欠片を、いやらしくて嫌だなと苦い気持ちで噛み潰しながら、セミ爆弾を1つ蹴飛ばして、家に帰った。ジジジと動く蝉の音が、何歩か歩いてもまだ後ろから聞こえて来て怖かった。

 

 

この2週間は、調子に乗って出かける予定を入れまくったので、当たり前にハードだった。ハードで金欠。

初めて資生堂ギャラリーに行った。「Frida is」というフリーダ・カーロの遺品を撮影した、石内都さんの写真の展覧会を見るために行った。

メキシコの民族衣装や靴、丁寧に繕われたストッキング、プラダのショーに出てきそうに鮮やかで美しい義足、それらと同列に、煙草ケース、痛み止めの薬瓶やモルヒネ、ワセリンの缶の写真があって、印象に残った。義足なのに、水着の写真もあった。なんとなく、フリーダに恋した男性が多数いたことが納得がいく感じ。眉毛、繋がってるけど。

資生堂ギャラリーに行ったからには、資生堂パーラーにも行った。わたしは普通のクリームソーダが飲みたかったのだけれど、無くて、マンゴーフロートを飲んだ。変な味。

サクランボ有りのクリームソーダのある、コーヒーが400円以下の喫茶店(全面喫煙)こそがいい店だと思っているわたしには、資生堂パーラーはオシャレすぎた。だって、爺やみたいなのが、椅子引いてくれるんだもの。落ち着かないったら。

その他には森ビルの面白くない展覧会と、ビールを飲むこと3回、業後に会社の子とお茶、夫とシン・ゴジラを見るなど、よく出かけた。あー疲れた。

 

唇の日やけはまだ治らない。

今年の夏はやたらとソーダが似合うので、炭酸ばかり飲んでいる。あきらかに体によくないんだけど、別に馬鹿みたいに飲むわけじゃないし、秋になればまたコーヒーばかり飲むようになるのだ。

ソーダソーダ、あわあわのソーダ、という自作ソングを歌いつつ、完全に夏ばてた体を引きずって、明日もセミ爆弾に挨拶をする。

実家は浄土真宗なんだけれど、浄土真宗では地獄は無いから、お盆にご先祖様は帰ってこないらしい。いつもそのへんに居るんだって。ナスだかキュウリだかで行ったり帰ったりしないんだって。

死んだ祖母とかが極楽浄土のハッピーモードでそのへんをうろうろしているかと思うと、笑える。

あわわのソーダの、泡の中に、わたしやおばあちゃんや戦争で死んだ人や、夫や友達やこないだの赤ちゃんや他の生きて居る人がくるまれて、皆でしゅわしゅわ浮いている図を思いついて、1人で爽快な気持ちになった。