電池切れ
朝起きたら8時を回っており、遅刻と欠勤の2択で迷った挙句に、欠勤を選択した。
カーテンを開けると気分とは正反対に恐ろしく晴れていて、部屋にアイボリーが侵食する。透ける生地の隙間から外界を覗くと、遠くに白い富士山が見えた。
会社に電話すると、付き合いの長い上司が出て、彼は体調不良の理由を尋ねなかった。淡白に電話が切れて、陽光と罪悪感が部屋に充満する。
わたしが寝過ごしたということは、夫も寝過ごしたということだ。彼は寝ぼけながら有給を申請していたけど、昨晩からお腹を壊していたので休めて良かったと思う。
我々の愛用している目覚まし時計は、深夜3時で電池切れしていたのだった。
夫はダウンしていたが、わたしは光療法でもしておこうと思って、寝室以外のカーテンを開け、昨日の残りの洗い物をする。
コーヒーメーカーをセットする合間に、干しっぱなしの洗濯物を畳んだ。
コーヒーと林檎の朝食を摂る。煙草を何本か吸う。台所の出窓から入る日光が眩しい。ああ、今日はクズだなぁ。
ブリを塩麹に漬け込むと、やる事がなくなったので、昼下がりにやっと『世界』を見た。
映画はとても良かった。
世界から抜け出す方法は死しかない。でもそれは始まりだと死んだ主人公は言う。映画はループする。彼女はまた世界公園のダンサーとして画面の中で生きる。
「北京に居ながら、世界を回ろう」「1日くれたら、世界を見せてあげる」という看板がピカピカ光っていて、でも北京に居たら世界は見られないし、世界公園に居たら北京すら見えない。主人公は映画であることにのみ救われる。2004年の中国映画だけど、今の日本を生きる人には共感できるところがあるんじゃないかしら、と思った。
北京オリンピックに向けて発展途上の中国。東京オリンピックを控えて後退していく日本。何度も出てくるパスポートが象徴的だった。
太田胃散の力ですっかり回復した夫と、焼いたブリと味噌汁を食べる。明日は仕事に行けるように、卵焼きを作ってお弁当を用意した。
魚臭い台所で、死なないようにしようと漠然と考えた。
年末は苦手で、台所に2つ並ぶお弁当はとてもおいしそうだ。