エスパー/エスケイプ
ステレオタイプ的な小言をいわれたことが無かった。誰にも。
毎日学校に行きなさいとか、そんなものは気合いだとか、働かざるもの食うべからずとか、結婚すれば落ち着くよとか。
世間の常識とか社会の慣習とかが、あまり上手く掴めていない。子供の時から、それで難儀して来た。今でも恥をかくし、失礼な振る舞いをしてしまう。
そのことは、わたしを臆病にする。だって、相手の基盤にしている常識ってやつが、常に全然ピンときていないんだもの。よく怒られる。社会は謎のルールに満ちていて、怖い。
怒られたことについては学んでいて、少しずつ覚えてはいる。一応少しは敬語を使うし、外で政治と宗教とマルチ商法の話はしないし、他の人のコップにもビール注ぐし、だいぶ人に気を遣える様になった。なぜか合理的な判断だけでは、人間関係は上手くいかない。
皆他の人は、凄く自然に大人っぽい言動をしていて、大人ってやつはエスパーなんじゃないかと思う。
わたしとて、相手から感じ取る事は沢山あるが、しかしそれに反応しすぎると、それはそれでエスパー失格なんである。エスパーは優秀なスパイでもあらねばならないみたい。
結婚したことは今のところ、非常に助けになる。夫はまあまあエスパーだから、すごく勉強になるのだ。
例外的に寛容なエスパーなので、指摘はしてくれないんだけど、判断に困った時に相談出来るし、エスパー的見解を示してもらえる。
画期的だ。
わたし1人だと、ものごとの優先順位がすぐとっ散らかって、全部が並列に美しくて意味の無いこととして散漫していくんだけど、それって生活するのに不向きみたい。
準エスパーの夫は、エスパーの基盤を守って生活する。食べたり寝たりすること、お風呂と歯磨き、部屋着に着替えてから本を読んだりテレビを見たり、仕事の日は仕事に行って、天気がよければ散歩に行く。それらをいつもしている。すごい。尊敬する。
わたしは夫の生活を出来るだけ真似して、でもたまにサボっている。サボっている分は、散漫していった非エスパー的ものごとをまた拾い集めて、生活に無意味さを増強しつつ隙間をこしらえている。
準エスパーやわたしが、エスパー免許皆伝にうんざりしちゃった時のための、隙間。そんで、それでもなんちゃってエスパーとして生きて行くのに、想像力を忘れないための隙間である。