町へ出よう

自殺のことは気になる。鉄道自殺が1番身近で、昨日か一昨日も、八王子でいじめで自殺した女の子は、電車に飛び込んで死んだ。

いじめで死ぬって1番無意味で一方的で、大体は殺人だ。だけど犯人の子供に責任能力は無いし、1人でもないだろうし、 とにかく被害者のみ死ぬのは割に合わなすぎるのだけど、この場合に、明日も生きるのはもっと割に合わないということは、私は知っている。 誰も自分を知らない場所に行こう。学校に行かずに制服のまま反対方向の電車に乗れば、そんな場所はすぐに見つかる。

死ぬくらいなら、危なかろうが知らないおじさんにメロンソーダ奢ってもらって、2000円貰って、映画の1本でも見た ほうが、殺されに学校に行くより、おすすめだけど。そのおっさんに殺されても、学校のやつに殺されるより、私はい いと思ったな。学校を捨てよ、町へ出よう。


俺が最近ムカついていることは、私が今幸せにしていること、クソ酷い目に遭ったことは無関係で、今幸せだからと言っ て、過去のムカつく仕打ちを許したり忘れたりする義務はないということを、意外とみんなわかっていないということ です。
今丸く収まっているからといって、私が止血しているとは限らない。ちゃんといつまでも、恨む。 そうやって私も恨まれていても、いい。


ばったり再会した際のために、いじめっ子をネットで氏名や学校名、進学先の名前や職業や住所で検索し、Facebookの プロフィール等探り当てている。宮古島でパイナップル食ってんじゃねーよブス。死ね。 と思いつつ、私はFacebookしてないし、別に思うだけで、それ以上は何も無い。ただ帰省した時にイオンでばったり会っ たら、指差して爆笑してやろうとは思っています。「宮古島行ってたよね、ウケる」つって。 大人しくて優しかったクラスメイトばかり、今は家庭内暴力の引きこもりとか、過食症鬱病からしくて、いじめっ 子は噂でもネットの検索結果でも概ねいい感じの職と家族と家にありついているので、こんな世の中じゃポイズンと思 う。

まあこのように人生は不条理なので、気にしてもしかたないし目の敵にしても何もないけど、許す必要は、やはり無い と思います。死ねと思う権利は、死のうか毎日毎日迷うくらい追い詰められた側には、あってもいいんじゃない。今で もあっても当然なんじゃない。奪うのおかしくない?


でも自分が死んだら、クズ女の成長しない服のセンスを笑ったり、性格分析して、何故にしていじめっ子に至ったか、 その後の人生がどうなり宮古島に至ったかをプロファイルして、そいつのコンプレックスを馬鹿にして遊んだり出来な い。今は1人での遊びかもしれないけど、大人になればハイボール飲みながら一緒に爆笑してくれるアングラな友達とか 出来るよ。田舎を捨てよ、街へ出よう。


私は中学生のころ、制服で大阪に行く電車の中でいつも、泣きそうになるのを堪えて、鞄から寺山修司を出して読んで いた。書を持って、町に出ればいいよ。


いじめで死ぬ子供を減らしたい。どうすればいいか、何が出来るか、少しだけど薄くだけど、ずっと考えている。あの 暗闇に、何なら届くだろう。 生き延びて、損なわれた人生に、希望の光があっても、みんな目玉を毟り取られていて、光が拾えないのだと思う。もしくは腕を切断されていて、光に手が届かない。脳的に。 それはその人のせいじゃないけど、その人が回復するしかなく、負担を少しでも軽く出来たら、まだいいなと思うんで す。負担を減らすだけじゃなくプラスにするみたいな思想もあるけど、そんな言い方は無責任だし、現実に沿わないと 思う。消耗させられた子供を、ミルククラウンをかぶせてふわふわのケープで包むみたいな、そんなケアが母親以外に 社会的に存在するといいんだけどな。