プライベートキッチン

インテリア全般にさほどの興味はないけれど、台所の写真を見るのは好きだ。理由はよくわからない。

ネットや本で、色々と台所の写真を集めている。出来るだけリアルな、使うのを想像できるような台所がよくて、実用の邪魔にならない程度に可愛くしてあると尚いい。外国のキッチンの場合も、アパートなんかの、縦長のスペースの片側にシンクやコンロと冷蔵庫があって、反対側に小さなテーブルと丸椅子があるような、そんな規模のものが好ましい。奥に窓があって、さ。

余談だけど、外国のキッチンの写真を集めていると、地震に無頓着なのか、食器なんかもむき出しに重ねてあったり、オープン収納が気軽そうだと思う。

七面鳥は焼かなくていいんだけど、パンを切ってベーコンを焼いてコーヒーを入れるのが気楽にできる、そんな雰囲気のキッチンや台所を集めて、そこに居る気分を想像している。

別に料理が好きなわけでもなく、思い入れもないのに、可笑しな関心の持ちようだなと自分で思う。

 

台所に限らなくても、小説や映画や絵画での室内の描写は、いつも興味深い。面白い。

ピエール・ボナールの室内画に充満する明るい日常的な憂鬱さや、江國香織の小説のリビングの密閉された雰囲気や、メイド・イン・ホンコンという映画で少年がパンツを冷蔵庫で冷やすシーンの倦怠や生命性みたいなもの、そういう表現から受け取る実感ともノスタルジーとも違う共感は、屋外での象徴的な場面と繋がるけれども、それとは個別での感慨がある。

 

結局、他人の生活を覗き見して、自分を当てはめて想像するのが楽しいということなんだと思う。

そういう憧れと共感をベースにした楽しみ方(場合によっては苦しみ方)がいいものなのかどうかはともかく、わたしはそういう性質なのだろう。これからも、台所の写真を収集して、映画の室内に注目して、頭の中に沢山の別荘をもって、たまに脳内ワープするんだと思う。

次に引っ越した時に、そのストックを少しは活かせるといいんだけど。