世界平和らびっと

引っ越して窓から畑が見えるようになり、家に居ても畑を毎日見る。

それぞれは農地というほど広くはないが、家庭菜園と言うには規模が大きく本格的過ぎる。商売なのかなんなのか、ちょっとわからない。

土日の午前中は、所有者の夫妻が畑で働いている様子がよく観察出来る。彼らは朝と午後に少し作業をして、夕方には畑は無人になる。この土地では17時になると夕焼け放送という市役所の放送が流れて「市民の皆さん17時になりました。良い子はお家に帰りましょう」と言われる。わたしは不良の大人なので、土曜日はよくこの放送で目が覚める。


今日は昼頃には起きられたので、洗濯をして、空気を入れ替えようと窓を開けたら網戸が砂まみれだった。網戸を拭く。

夜勤明けで寝ている夫を密閉して、掃除をして洗い物をした。家事なんてしていると何という善行をしてしまったんだという気持ちになるけど、それは自分以外の他人に何も利益がない行為なので、思い違いだ。

善行って、誰かに優しくしたり寄付したりすることでしょ。


知らない間に溜まっていた何かのポイントを、子供の食糧基金とiPS細胞の研究費の寄付に交換した。最近で唯一の善行だけど、こういうのって自分が追い詰められている時はあまり出来ない。

家に埃が積もっていて洗い桶が満杯で、会社休んで死ぬ方法を検索しているような日には、出来にくい。他人への優しさとか、良いことをしたいという気持ちは、結局心に余裕がないと、というか健全でないと難しいんだと思う。わたしは病んでいる時、死ぬ気があるのに、妙にケチ臭いし。

なので、とりあえずは自分の生活を整えて自分の幸福を考えるのは、それは善行じゃないけど、わたしの場合には、他人のためにも良いのだと思う。迷惑度が下がるだけでも、わたしがいい感じな方がみんな楽でしょう。


そんなわけで世界平和の為にクッションカバーとジーパンも洗濯した。

唇の皮を毟りながら、コーヒーを淹れる。

生きていける気がしないけど、死ねる気もしない。夕焼け放送を聞きながら、大人だから17時以降に出かけたっていいことと、寝てる夫をそろそろ起こしてもいいことを思い出す。

生きるとか死ぬとかどうでもいいから、お風呂に入ろうと思った。みんな生きればいいよ。わたしも生きればいいんでしょ。


この間唐突に、死にたいで検索した。何でもまず検索である。ホットラインが出てくるけど、死なないのでかけない。

なんとこのご時世にはLINEで無料で悩みを聞いてくれるというものも表示された。生きづらびっとっていうウサギが話を聞いてくれるみたい。生きづらびっとに死にたいと言ったら、相談時間外だと言われた。

アホらしくなってきて携帯を放り投げて眠った。睡眠は大事だ。


風呂から上がって、キッチンの窓から老夫婦の片付けた畑を見た。何の野菜かわからないけど、等間隔に緑の葉が伸びている。丸く穴が開けられたビニールが地面一列分を覆っていて、黄緑の小さくて直線的な葉が穴から顔を覗かせている。

引っ込んだ夕焼けの残骸を見ていたら、遠くに富士山の山影が浮かぶ。ここから急速に夜がやって来るのだ。

やれやれ。窓辺を飛ぶ小蝿を握りつぶして、ティッシュでこそぎ取って捨てた。

牛乳をコップに注ぐとパックがすぐに空になってしまったので、サラの牛乳を開けて注ぎ足す。

白い液体を飲み干すと、テレビが明日は雨だと言うのが聞こえた。