marriage

 

朝、駅前で青い上着を着た男性が、ビラを配っていた。こういうことは毎日行われていて、ジムの広告だったり、宗教の勧誘だったり、政党の候補者の宣伝だったり、何なのかわかりにくかったり、様々である。(夜はアスベスト被害やあしなが育英会の署名、それから新興宗教の勧誘が多い。宗教の勧誘はいつも小綺麗に行われていて、上品な服装の人が、連れ立って熱心に行っている。先日は、「あなたも救済されます」と声をかけられた。渡されたビラには、キリスト教の聖人の名前が沢山あって、ロココ調に見える磔刑のキリストの絵が背景に描かれていたが、日本人と思われる名前も要所で登場し、全体的にマニエリスムな感じの紙だと思った。私は救済ってどういうことなのか、上品なオリーブ色のダウンコートを着た女性に訊ねてみたかったけれど、ただ喧嘩がしたいだけだと気がついてやめた。)


今日は『原発は本当に必要か』といった、基本的に反原発の立場の人による原発の要不要を考える会合についての宣伝のビラだった。詳しく内容が分かったのは、私がビラを受け取ったからである。正確には「1枚下さい」と言って、反対側にビラを差し出していた男性に振り向いて貰って1枚貰った。

私は別にその原発の勉強会には行く気が無いが、原発は無くてもいいなら無ければいいとは思っている。不勉強なので、まだこのことについてどういう立場をとるか考えておらず、その考えていないことは、青い上着が小さくなっていくのをエスカレーターの左側で見遣りながら、とても後ろめたく思った。興味もないのにビラを貰ったのは、駅のエスカレーターは朝には大変な混雑になるので、沢山の人が青色に声をかけられていると思うが、見た範囲では誰一人ビラを受け取っていなくて、青色の人が透明人間の様に見えた。個人的に集団がマスゲームの様に同じ事をしていると体毛がゾワっとしてしまう質なので、今朝の駅前の空気には少し雑味を取り入れた方が、なんかいい気がした。

ジムのティッシュ広告も貰うし、アスベスト育英会も署名しているし、単に紙が好きだし、タダだし、ビラを受け取るなんてノープロブレムだ。しかし、今日は半径2メートルに幾つもの視線を感じた。雑味の注入には成功したので、ビラを正方形に折り畳み、猫型のカバンにしまって電車に乗り込む頃には、体毛は重力に正確に肌に張り付いていて、その自己満足と自己完結に、またゾワっとしてくる前に、つり革にもたれて目蓋を閉じた。


夫の妹が結婚することになった。とてもおめでたい。今年入籍して、来年結婚式をするという。私は人の結婚式に行くのや恋愛話を聞くのが大好きなので、わくわくする。東京タワーで告白されて2年後に、東京タワーでプロポーズされたらしい。見せてもらった写真では指輪がキラリと光っていた。ドラマの様なストーリーに圧倒され興奮しつつ、幸福な生活を祝福したいと思った。夫は妹のことを愛しているので、一瞬テンションがおかしくなっていたが、思ったよりも平静を保っていて、妹が同じ苗字でなくなることにきちんと適応していた。

私達自身は、結婚式もしていないし、最初は結婚指輪をすることも考えていなかったし、何も考えていなかったし、家族にはほぼ事後報告であった。なんで結婚したんだっけと思って夫に聞くと、桜並木で私がプロポーズしたんだということを言っていて、それはなぜかというと、共同名義で2世帯として部屋を借りて生活していたのが、部屋の更新の際に2世帯を1世帯にすると火災保険が半額になることに気付いて、その2万円くらいが惜しくて、更新前に入籍したのだった。(もともと30までに結婚しようとは漠然と言っていて、その時点で29歳だった。)

因みに結婚したのは秋口で桜並木と言っても桜は咲いておらず、プロポーズは女の方から火災保険の話であり、ドラマ性もロマンチックも無かった。なのでほぼ忘れていたんだけど、思い出してもちゃんとロマンチックじゃ無かったことがわかって、個人的にはとてもホッとした。東京タワーのプロポーズは素敵で、とてもおしゃれだけれど、私には火災保険の方が体毛が落ち着く気がする。

ただし2万円で夫を人生に引きずり込んだ責任は、私は引き受けて然るべきだと思った。私は皆簡単に結婚して、別にしなくてもいいし、嫌になれば簡単に離婚もして、その気になれば気楽に再婚して、とにかく適当に気楽に考えればいいと思っているが、自分は絶対にずっと夫と一緒にいたいし、ある臓器の献体を希望しているのでその手続きをつつがなく夫にやって欲しいから先に死にたい。よって夫には長生きしてもらう必要があり、その為には機嫌良くルンルン生きていただきたいので、もっと崇めていかなければダメだなと反省した。

新興宗教のビラのキリストを思い出す。ロココ調のキリストの顔をロココ調の夫の顔に置き換えて、磔刑の梁を頭の中で外す。服を着せて、笑顔に上書きして、ロココではなくバロックにした。やっぱりバロックもやめて、ゴッホタンギー爺さんみたいにして、いやいやと思い直して、最後にはロスコーの青いグラデーションが広がって発光し、その奥から3Dプリンタで作ったみたいな夫が出てきた。ほんで実体は今お出かけしていて、21時くらいに帰ってくると思う。

結婚は制度と家族とか親戚が出来るっていうだけのことで、別にしなくてもいいと思うけど、パートナーがいると楽しいかなとは思います。知らんけど。

あといくら無神論者でも、宗教の自由がありますし、道端で救済のことでプンプンして持論を展開したりハイキックかましたりしたら、犯罪者ですので本当に気を付けてください。あと雑味に慣れてください。