モンステラ先攻

 毎年10月始まりの手帳を買っているので、そろそろ新しい手帳が欲しい。小さくて馴染むものなら良くて、別にモレスキンとかじゃなくてもいい。でも中々気に入るものがなかった。そもそも紙の手帳が必要かというとそれも怪しく、スマホで完結しそうな気もする。何だか悲しくなる。私は9月になってからというもの、悲しくなりがちなのだった。

 良く晴れた日で、シャワーを浴びて、ネットでモンステラを注文した。私は観葉植物を育てる才能に欠けていて、すぐに枯らすのだけど、とにかく8号の大きめの鉢を注文した。秋の暑い日はセンチメンタルで罪だ。タオルで髪を拭いて、半袖と短パンを着ていたけれど、思い立って長ズボンを履いた。数年前に描いた小さな油絵が目に入る。別に上手くもないけど良い絵だと思った。自分の絵はそんなに好きじゃないけど、木の絵は好きだった。 

 どうしてこんなに上手く生きていけないのだろう。上手く生きるとは。わからない。わからないことはとにかく多い。そしてそれらは、無視できれば良いんだけど、ジロジロ見つめたくなる性質なのだった。生活の近くでは、仲良くしていた職場のギャルが辞めるということがあった。私も苦手な管理者と「合わないので辞める」と言っていた。私も合わない。でも辞めたいかと言われると微妙なのだった。辞めたいのは辞めたいけど、無職には無職の苦しみがあるし。働いていても、働いていなくても、それぞれ悩みはあると思う。そう思うと辞めると言い出すのももはや面倒で、意義があるとも思えなかった。早晩クビになる可能性はあるので、それまでのらりくらりと、実際は必死のパッチで、やり過ごせれば、そのうち労働条件はもう少し良くなるかも知れない。休職を理由に時給を低く設定されていることなど、仕方ないのだけどテンションが下がる事項も多い。障害者手帳って、一般就労では何の意味も為さないので、本当にどうしろってんだろ。かといって障害者雇用は殆どがお話にならないような時給が提示されている。今の会社だと、異動できたとしても特例子会社に行くことになって、勤務先が遠くなり時給も落ちる。あまり良いことはなさそうに思えた。

 生活。俗っぽく魅力的なそれそのものに人生を取られる。それを幸せと呼ぶ。生活していきたいのに、躓くことは多い。そしてその段差をパテで埋めるように、モンステラを買ったり、散歩に行ったりする。そうして目にする美しい夕陽を、誰も偽物だとは言わないし、私は責められたりしない。それでも世界では戦争も詐欺も殺しもある。スカスカと不安で、パテで埋めても埋めても、コンクリートの隙間から怖い養分が出ている。私は強気だが、養分も脅しが効いていて、私は、もう殆どビビり上がっている。夕陽の突き刺す光は、心臓をまっすぐに串刺しにして、私は窓辺から動くことが出来ない。涙は出なかったが、悲しいという気持ちがあって、そして心臓を差し出す資格が自分にはないことが、虚しかった。