いじめの時間

私がいじめられたのは、中学2年の頃だった。まあ色んなことがあった。私は不登校となり、しかし3年生になると復帰して、無事に高校受験をした。

 

いじめ自体の記憶は飛び飛びにある。でもそれより、いじめが無くなった後の生活について、残念に思うことがある。

高校生活はとても楽しかった。ある授業中に、リストカットという発想ではなかったんだけど、定規を手首に当てて強く擦った。勿論皮膚は切れないが、赤く腫れて血も少しは出たりする。それを、長めの袖丈のセーターの内側で、その後も机の下でこっそりと反復して行っていた。(余談だが私は自分の他に、もう1人同じことをしている生徒を知っていた)

その行為は、その後は夜中のベッドの上でカッターナイフで行われ、血はフィルムケースに入れて捨てていた。自分のことを可哀想に思った。でもそれよりもずっと、自分など可哀想に値しないし自傷はナルシズムで格好悪く恥ずかしいと知っていた。


私はある時、耳たぶをハサミで切ったので、耳たぶを何針も縫っており、片耳が少しだけ形が歪になっている。腹部にも包丁の先を刺した跡がある。これらは私が自発的に行ったことで、他人に責任は無い。右手にハサミを握って立ち尽くすその間、私には他人の笑い声が聞こえていた。画鋲が散らばるキラキラが見えた。リノリウムの冷たさを感じて、冷汗が出た。その時、私はもう多分大学生だった。

 

いじめ後遺症という言葉を知る。それは上記のようなことかもしれないし、違うかも。私は躁うつ病で、それはそれなのだけど、何度かの自殺未遂と自傷行為希死念慮、それに関してはなんだか躁うつ病は関係が無い気がしている。鬱は鬱で死にたい位しんどいけれども、衝動性と切迫した感じ、その感じと相反する他人事のような感覚、それらは多分だけど、いじめの時間が流れているんだと思う。


今年は、児童生徒の自殺数が過去最高だそうです。

誰が殺した?

チャイニーズレストラン

毎週、病院の帰り道(もしくは行きしなに)に、いつも同じ中華屋さんで夫と夕食を摂る。そこは多分チェーン店なのだけど、皆中国人の、いつも居るお兄さんと、入れ替わるお姉さんと、厨房のコックさんが切り盛りしていて、大通りに面していて、夜は頻繁に飲み会などの団体のお客さんも見えるので、そこそこ繁盛してるんじゃないかと思う。

わたしは毎回、ビールセットなるメニューを選択する。ビールのジョッキと、餃子と唐揚げと、エビチリとか麻婆豆腐とかから選べるおかずが一品つく。これで950円なら上等かしらと思うけれど、どうでしょう。

夫はビールが飲めないので、炒飯や麺やお粥やなんやのどれかを頼み、テーブルに並んだ全ての食べものを、わたし達はシェアする。男女が訪れて、ビールが一杯だけ注文された場合、多くの店員の人はとりあえず男性側に置く。夫はそれをわたしの側に置き直して、お疲れ、と言う。この少し贅沢な習慣は、しかしわたしの通院の面倒さやちょっとした下らないナーバスをかき消して、しっかりと家に帰る元気をくれる。

お金が無い時はうどんを食べるので、今日は何週ぶりかの中華屋さんだった。ビールセットをエビチリで頼む。夫は炒飯や麺類をやめて、麻婆茄子を食べたいと言う。ビールは、最近ではちゃんとわたしの側に置かれる。中華屋さんは喫煙可であるが、夫はわたしに気を遣って、吸わない。わたしの禁煙(何回目かな)は今回3ヶ月を達成しようとしている。

この中華屋さんは餃子が売りみたいなんだけど、唐揚げが異様に美味しい。ビールセットに唐揚げが2つつくので、1つずつ食べる。熱くて口元がおぼつかない間に、唐揚げの大半をテーブルの下に落としてしまった。ショックでした。神も仏も無い。唐揚げも無い。夫がひらって、お兄さんに謝ってくれた。お兄さんが行くと、夫はわたしに、「なんか唐揚げ1個サービスしてくれそうじゃない?」と悪そうな顔で言う。なんてよこしまな、と思いながら夫の唐揚げを半分貰っていると、お兄さんがやってきて、なんと唐揚げを余分にサービスしてくれたのだった。わたし達はもう常連なのだ。

さて、単にこの中華屋さんが大好きだっていう話なのですが、それとは別にわたしはたまに、一杯ひっかけてから診察に挑んでいる日があるということです。酒気帯びなんてへっちゃらなので、あまり悪いとは思っていないのだけど、失礼かもしれないと思って、内緒にはしてます。ははは。

プラネットA'

地球を大切にしよう。とあまり思わない。それは多分完全に、多分に正しくない。

よく「There is no planet B」という札を持った海外のお洒落な若者をネットで見るけれど、それはきらきらととてもまっとうなのだけど、暑く熱くまともじゃない夏、その死者数をテレビで見ながら、わたしの感情は牛乳を飲み干したカップの淵に座り込んだまま、動かない。沈まないし、浮かない。夏のわたしの周辺は、線上に在る。

9月になった。

-----------

今月から土曜日が出勤になった。いつもと違う座席の電車が来る。座って、青空文庫で何か読む。例えば、春と修羅とか。

-----------

ダイエットしていようとしている。うまくいきません。

フィギュアスケートのシーズンが来た。わたしも幾分、彼らのように自己管理が出来ればいいんだけど、動機も必要性も、結局の所薄いのだった。夏を過ぎても、まだ眠る前に氷を口に含んでいる。君も透明にしちゃうよ、という映画の台詞が怖かった。

-----------

料理を長くしていないけれど、梨を買って梨を剥く。甘い水分が滴る。電気代の請求書に零してしまう。クーラーをつけていた割には電気代は思ったよりも安く収まっていた。

-----------

夏の間ずっと、ブラトップ的なものを着用して、ブラジャーはしなかった。ブラトップの生地のサラサラが冷ややかに思えてきた頃に、ブラジャーとキャミソールをつけると、なんだかUFOキャッチャーに背中から掴まれたみたいな気持ちがした。わたしはスウスウする感じが苦手で、秋は不安になる。UFOキャッチャーのガラスの向こうには、混沌がある。ワイパックスを飲んだ。

-----------

ショートヘアにしたい。

MA VIE/LA VIE

父が学会で東京に来たので、土曜の昼前に上野で待ち合わせた。企画展を2つと、常設展を1つ見て、池袋で夫と落ち合い3人でビールを飲んだ。(正確には夫はコーラ)

松方コレクションは国立西洋美術館が所蔵してるんだし、そんなに大量の人が押し寄せて、ありがたがって見るものなのか、よくわからなかった。

-----------

「もはや、平和〜ではないっ!」と歌いながら、スーパーのお弁当の袋をぶら下げて歩く。もはやっへいわーではないーっ、もはや平和ではない。

蝉が死んでいる。蝉爆弾と、それより沢山の蝉おせんべいを避けながらスキップをする。わたしは夏が好きなので、虫の気配と死の匂いは、怖いけれど目が反らせない。戦争の記憶と、今そこで死んでいる蝉と、生きて汗をかいているわたしは、多分夏には繋がることが出来る。半袖を着ると、リスカ跡が剥き出しになる。

-----------

今年35歳になる。年相応に、白髪もシミもシワもある。子供みたいに生きていかれないものかしら。大人みたいに生きていかれるかしら。取り敢えず、死ぬタイミングは逃した。蝉だって脱け殻が1番怖くないでしょ。身が詰まってなくても、それは別に偽物ではない。

-----------

氷食症とまではいかないけれど、氷を齧るのが好きだ。喉が乾くと眠れないので、寝る前に製氷皿から氷を1つ取り出して、口に放り込む。頬にひっつく少しの不快は、しかしすぐに溶けて無くなる。冷たく、透明で、消えて無くなる氷は、正しさを携えているように感じる。

口に氷を含んで横になる時間は、その気温が30度以上ある熱帯夜は、目が冴えて眠りたくない気持ちがする。散歩にでも行きたい気分。それでも睡眠薬を飲んでいるので眠くなって寝てしまう。夏の夜と氷は好きだ。

-----------

スパニッシュ・アパートメント』『ロシアン・ドールズ』『ニューヨークのパリジャン』の三部作をみた。主人公のグザヴィエは小説家で、ノートパソコンでMA VIEとタイトルを打った後、LA VIEと打ち直した。誰の人生だろう、とにかくとても映画だと思った。

-----------

駅前で走る巨大ネズミをみた。椋鳥がギュルギュルギャーピーギョリリリと喧しい。人間は無口に階段を上る。

-----------

自宅のそばから、花火が見えた。

 

 

 

 

 

 

シルエット/シガレット

20日前、煙草をやめた。なるべくもう吸わないようにしたいのだけど、それでもわたしは煙草が好きだ。本当は寝る前に1本だけ、とかそういう付き合い方が出来れば理想的だけど、なんだか中毒か依存症なのでそれが出来ない。お金も、昨今は吸う場所も無いので、何度目かの禁煙をしている。

わかばとエコーとゴールデンバットが販売廃止になる。わたしは長くわかばを吸っていた時期があるので、少し淋しい。

煙草にも喫煙者にも思い出がある。マルボロの友達、母のピアニッシモ、マイセンの同僚、パーラメントのあの子やアメスピのあの人。わたしはポールモールとウィンストンが好きだった。夫がラッキーストライクを吸うので、わたしもこないだまではラッキーストライクを吸っていました。

 

そう言えば昔、ガラムを吸うおばさんがいた。カウンセリングに通っていた病院でバスを待っていたら、赤い車に乗った知らない女性に、駅まで送ってやると言われた。彼女は宝石を身につけていて痩せていて品があったけれど、それでも一目見て狂人だった。わたしは赤い車に乗ることにして、すると車内は甘ったるい煙が満ちていた。女性はガラムで良かったら吸う?と尋ね、わたしはガラムを初めて吸った。若干の異国情緒が、女性の訳わからなさをプラスの方向に演出しており、赤い車の中のおばさんはとても魅力的だったように思う。スピード違反なんじゃないかと思うような荒い運転も、ガラムで煙に巻かれて気にならない。わたしはガラムのおばさんを好きになった。そんな風に何度か駅まで送ってもらって、今でもガラムを見かけると、名前も忘れたおばさんを思い出して、赤い車でぶっ放す道なりの、街路樹と平坦な建物を少し懐かしくなる。嘘もののような気配、怪しくて甘い、インドネシアの煙草。タールが30mg位あった気がする。

そんな思い出はいくらもあるんだけど、わたしは整理してあらかた捨ててしまおうと思っている。煙草と一緒に、おさらばしよう。でもどうせわたしは数ヶ月もするとまた煙草を吸うだろう。わたしの禁煙は断続的で、つまりは意志が弱い。でも別にいいと思っている。そんな感じで過去の思い出もたまに嗜む程度にすれば、害ではないのかもしれない。まあまだ一カ月も禁煙してない人間が、何を言うって感じですけど。