いじめの時間

私がいじめられたのは、中学2年の頃だった。まあ色んなことがあった。私は不登校となり、しかし3年生になると復帰して、無事に高校受験をした。

 

いじめ自体の記憶は飛び飛びにある。でもそれより、いじめが無くなった後の生活について、残念に思うことがある。

高校生活はとても楽しかった。ある授業中に、リストカットという発想ではなかったんだけど、定規を手首に当てて強く擦った。勿論皮膚は切れないが、赤く腫れて血も少しは出たりする。それを、長めの袖丈のセーターの内側で、その後も机の下でこっそりと反復して行っていた。(余談だが私は自分の他に、もう1人同じことをしている生徒を知っていた)

その行為は、その後は夜中のベッドの上でカッターナイフで行われ、血はフィルムケースに入れて捨てていた。自分のことを可哀想に思った。でもそれよりもずっと、自分など可哀想に値しないし自傷はナルシズムで格好悪く恥ずかしいと知っていた。


私はある時、耳たぶをハサミで切ったので、耳たぶを何針も縫っており、片耳が少しだけ形が歪になっている。腹部にも包丁の先を刺した跡がある。これらは私が自発的に行ったことで、他人に責任は無い。右手にハサミを握って立ち尽くすその間、私には他人の笑い声が聞こえていた。画鋲が散らばるキラキラが見えた。リノリウムの冷たさを感じて、冷汗が出た。その時、私はもう多分大学生だった。

 

いじめ後遺症という言葉を知る。それは上記のようなことかもしれないし、違うかも。私は躁うつ病で、それはそれなのだけど、何度かの自殺未遂と自傷行為希死念慮、それに関してはなんだか躁うつ病は関係が無い気がしている。鬱は鬱で死にたい位しんどいけれども、衝動性と切迫した感じ、その感じと相反する他人事のような感覚、それらは多分だけど、いじめの時間が流れているんだと思う。


今年は、児童生徒の自殺数が過去最高だそうです。

誰が殺した?